サンフランシスコを本拠とし、ターゲット顧客層のライフスタイルを発想の出発点としてユニークなホスピタリティ業を展開するジョワ・ド・ヴィーヴル社。創設者のチップ・コンリー氏はサンフランシスコ・ベイエリアのツーリズム市場が干上がった2001年の同時多発テロ後に、マズローの欲求段階説にヒントを得た漸進的な経営手法「ピーク経営」を提唱。一時は倒産の危機にまで直面したジョワ・ド・ヴィーヴル社の経営を見事に180度転換させました。

多くの会社は、従業員に対して、食欲や睡眠欲、安全欲求など、主に底辺三層の欲求を満たすことに焦点を置いていて、それ以上の欲求を満たそうと意識的に考えることをしません。しかし、もし、会社が従業員の基本的欲求を満たすだけでなく、自己実現の欲求を満たすような環境をつくるように努力をしたら、従業員の最高の能力を引き出すことができるのではないか・・・チップはそう考えたのです。

ホテルなどのホスピタリティ施設の従業員の大半を占めるのはどんな職種の人たちでしょうか。それは、客室の清掃にあたる人たち、「ハウスキーパー」と呼ばれる女性たちです。

客室に掃除機をかけ、ベッドを整え、タオルなどのアメニティを整え、ごみを捨てるハウスキーパーの人たちは、宿泊客と直接対面する機会は少ないものの、顧客体験を大きく左右する重要な役割を果たしているといえます。

しかし、それでいて、これらの仕事は低賃金であり肉体的にも負担を強いられる決して楽ではない仕事だという現実があります。特にアメリカでは、言語を必ずしも必要としない職種であることから、英語を喋れない移民が就くことが多い仕事なのです。大半の人が好んでやるような仕事ではない。「生活のためだから仕方ない」と思いながら仕事をしていても当然だと普通の人なら考えてしまうでしょう。

しかし、チップは、ハウスキーパーの女性たちにも、「働く意義」を感じてもらえるような職場をつくりたいと思いました。従業員全体の大半を占めるハウスキーパーの人が働く意義を感じ、職場に愛着をもってくれてこそ、お客様をあっといわせるような超越したサービス体験が提供できると信じたのです。

そこで、チップは、ハウスキーパーの人を集め、一日がかりの合宿を行いました。アメリカでは、会社の役員や上級管理職の人たちが職場を離れて行う「リトリート」と呼ばれる合宿があります。「リトリート」には「静養」という意味があり、日常の忙しさ、あわただしさから離れて。静かに落ち着いて頭を休めたり、精神を統一してものを考えるために行われます。アメリカの会社では、会社のお偉いさんが事業戦略や年間計画など、会社にとって重要な責務を果たすためにやることだというイメージがあります。それを。ジョワ・ド・ヴィーヴルではハウスキーパーの人たちのために行ったのです。

その合宿で、ジョワ・ド・ヴィーヴルのハウスキーパーたちはいくつかの少人数のグループに分かれて、ある演習を行いました。「もし、火星人が我々のホテルを訪れたとして、皆さんの仕事を観察したら、それにどんな名前をつけるでしょうか」という質問に答えるというものです。

「ベッドを整える仕事です」「部屋をきれいにする仕事です」などというありきたりな答えはもちろん御法度です。相手は火星人なのですから、地球の常識は忘れた気持ちになって、自分の仕事をまったく新しい視点で定義しなおすのです。

その結果、ジョワ・ド・ヴィーヴルのハウスキーパーたちは、それまでは考えもしなかったようなユニークな名前を考案するに至りました。いくつか紹介すると、「セレニティ・シスターズ(平穏の姉妹たち)」「がらくたバスターズ」「心の安らぎ保安官」などといったものです。

この演習を通して、ジョワ―・ド・ヴィーヴルは、ハウスキーパーの人たちの仕事に対するマインドセットを、「ベッドを整える」「掃除機をかける」「ごみを捨てる」「アメニティを補充する」などといった作業主体のものから、「お客様に平穏を提供する」「心の安らぎを提供する」などといった感情価値に基づくものへと転換することに成功したのです。合宿を終えた女性たちの顔が誇らしげに輝いていたことは想像に難くありません。

ジョワ・ド・ヴィーヴルでは、ハウスキーパーだけでなく、ベルボーイやフロントデスク・スタッフなど、ホスピタリティの現場で働くすべてのスタッフを対象に合宿を行っています。働く意義に目覚め、職場に誇りと愛着をもつ人々が提供するサービスは唯一無二のものです。2011年、ジョワ・ド・ヴィーヴルは、米ホスピタリティ業界の顧客サービス調査機関、マーケット・メトリックスのランキングで、マリオット、ヒルトン、ハイアット、ウェスティンなどの総合大手を退け、堂々首位の座に輝きました。